それは拾ったり拾われたりするものか

朝、ラジオが興味深いことを言った。
親の年齢が子どもの年齢の2倍になるのは人生に一度だけなそうな。
子どもが、親がその子を産んだ歳になった時、二人の年齢差は2倍。
ぼくはちょうどその時である。

先日、京都に来るまで住んでた団地地帯を訪れて以来、おかしな感覚にとらわれていて、
そこへもってきて更に、手を伸ばせば届くんじゃないかって気がしてしまう同業他社の給料が、
自分の職場よりも断然に、ボーナスの桁が違うくらいよい、という話をその後に聞いて、
ぐるぐると支離滅裂なことを考えている。

団地を訪れたぼくは率直に「俺、エラくなったもんだな」と思った。
と同時に、「エラく」してもらっておいて(エラくなったなぁ、なんて)いきがってんじゃねぇよ、と
恥ずかしい気持ちにもなった。

ぼくはどう考えても、自分が「した」「してきた」以上のことを享受している。
ふわふわと学生をさせてもらい、ふわふわしてる間に雇ってもらい、
ふわふわしていることに絶望的な自己嫌悪を抱いたりする毎日を送ることで給料をもらい、
家に帰れば(今のところいつも)妻に機嫌よく迎えてもらい、
すやすやと眠る。

まったく黒字だ。ぼろ儲けじゃないか。
こんな安穏な生活を、日本中の何パーセントの人間が送っているんだろう。
世界中の何パーセントの人間が人生を恨むことなく生きているんだろう。

そんなことを考えていた。
やまだないとが「西荻夫婦」のあとがきに書いたことも、まま胸に迫った。
不当利得だと思った。

ところへ、同業他者の話。

シンプルに、羨ましいと思った。
なんなら自分も、とよぎった。
よぎってすぐに、(なぜか)唾棄された。
それに適当な理由をつけてその場にいた人に話した。

昨日、夜遅くまで働いている非常に有能な先輩にその話をした。
二人とも羨ましいと言った。
言って、そのそばから、自分は学歴的に転職は無理だといった。
ぼくに、どうしてここに就職したのか、と言った。
他にいく所がなかったからですよ、とぼくは言った。
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by fdvegi | 2009-02-11 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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