向日市の愛宕灯籠を追加

向日市は向日市でも森本町というところにありました。
物集女町と寺戸町しかないと思っていたので、まず森本町の存在に驚くというか、当ブログのコメントで通りがかりの者さんに教えてもらわない限り、未来永劫探しに行くこともなかったのではないかと思われます。

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東から見ると、ちょうど久世の176_と175_の延長上に位置しています。
一方、西から見ると、西国街道は向日市の77_や72_を東端にしている感じです。
となると、在りし日の西国街道は、現代の地図上で阪急京都線とJR西日本の在来線と東海道新幹線に断続的に袈裟切り状態にされている一帯でグイっと湾曲していることが想像されることになります。
となると、この389_が文字通り「西国街道沿い」というのは無理があるかなと思われます。
んー。
とはいえ、別に街道「沿い」でなくても街道「周辺」にあっても悪いわけではないですからね。それはそれでいいじゃないか。

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389_向日市森本町


向日市、一体あといくつあるのだろう。
同じく教えていただいた金林寺の灯籠は、さすがに違うんではないかって気がしています




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# by fdvegi | 2018-01-11 00:30 | 京都在住 | Comments(2)

京都市内北寄りの愛宕灯籠、追加

当ブログのコメントで幡枝人さんに情報提供いただきました。
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一つ目は勇身八幡宮という小さな神社の門前にありました。
この勇身八幡宮という神社は創祀や由緒等は不明なようです。
初代の征夷大将軍である坂上田村麻呂について『坂上田村麻呂伝記』という本があるそうで、その中に田村麻呂を評して「武芸称代 勇身踰人 辺塞閃武。 武芸はあたいにかない 勇ましい身は人をこえる 辺塞にあって武を閃く」という記載があるとのこと。
この「勇身」を頼りに、坂上田村麻呂の個人的な祀りの跡という推測が、ネット上では行われています。
そのことと愛宕灯籠との関係は不明です。

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388_北区上賀茂深泥池町

ただ、愛宕神社というか愛宕山はもともと地蔵信仰をしていたようで、地蔵にもいろいろと種類がある中「勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)」というのを祀っていたそうなのです。
読んで字のごとく、これに祈れば戦に勝つという地蔵で、鎌倉時代以後、武家の間で信仰されたとのこと。
明智光秀が本能寺の変の前に愛宕山へこの勝軍地蔵を訪ねたのは、わりと有名な話です。

というわけで、武勇の男・坂上田村麻呂と勝軍地蔵とがリンクした結果としての、この場所の愛宕灯籠ではないかと思われます。
鞍馬街道沿いでもあり、灯籠文化が実を結んだのではないでしょうか。
京都市北寄り(というか鞍馬街道の深泥池付近)、地味ながら相当なかなか面白い場所です。

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393_左京区岩倉幡枝町


もう一つあったのが、左京区の幡枝です。「はたえだ」と読みます。
岩倉地区の一部なのですが、岩倉中心部からはだいぶ離れており、どう考えても同じ文化圏とは思えず、岩倉からは分けました。
47_と60_とのバランスを考えると市内北寄りにカテゴライズするのも難しいというか、本来的には、59_と183_と新たな388_とのセットで「鞍馬街道沿い」とでもすべきところなのでしょう。
この道が鞍馬街道であることも、正直、当ブログのコメントで幡枝人さんに指南いただくまでは意識に上がっておりませんでした。不覚。

二ノ瀬に調査へ行く際にこの道を通っており、その存在も気が付いていたのですが、「愛宕」の文字がないので見切っておりました。
しかし、幡枝人さんによると、西幡枝ではこれを愛宕灯籠として運用されているとのこと。ぉおー。
地元民コメント最高です。

もともと愛宕灯籠でないものを愛宕灯籠として使う、という実例もゲットすることができました。
鞍馬の岩神灯籠でもこの運用が行われていたという説が、純然たる邪推・推測から、ちょっとだけ可能性に近づいた気がします。
嬉しい。




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# by fdvegi | 2018-01-08 00:30 | 京都在住 | Comments(2)

伏見区の愛宕灯籠

鳥羽街道もほぼほぼ伏見区内なので、伏見と鳥羽街道を別にするのはどうかという思いもありますが、いかんせん、向いている方向が違います。
伏見街道は南西へ、こちらは南東へ。
竹田街道とも違う独特の曲線、愛宕カーブを描いているように思われます。

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伏見の酒蔵の方にもあるような気がするんですが、なかなか難しい。
子どもができて以来、すっかり足が遠のいています。

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327_伏見区竹田内畑町

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256_伏見区桃山水野左近東町

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257_伏見区桃山町泰長老




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# by fdvegi | 2018-01-06 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

バンコク思う奈良

奈良へ行くたびに必ずと言っていいほど渋滞に巻き込まれる。
奈良の渋滞は何となくバンコクに似ている。
バンコクでは運転していなかったし、まだドライバー視点も持ち合わせていなかったので確かなことは言えないけど、絶対に似ている。
これといった原因はなく、大きめの交差点ではそのたびに必ず渋滞する。

単純に道が足りないんだろうなと思う。
そして道路不足の解消に高架道路を設けるが、下道は下道で存在しないわけではないので、高架道路と下道の合流点で混む。
しかも多くの場合、交差点付近で合流しようとする。
悪いときには、なぜか高架道路の車線を減らしつつ、交差点に差し掛かるところで、下道との合流を敢行してしまう。
合流しても混むし、合流しないでも本線用と側道用の別々の信号のせいで時間を要して混む。
とにかく混む。
赤信号はむやみに長い。

下道なら下道として、細道なら細道として交差点を設ければいいのに、何だか知らないけど交差点は大通りにしかない、かのように皆で大通りを目指す。
そんな感じがして、バンコクのソイ・システムを思い出す。
バンコクの道路のグランドデザインを作ったのは日本の大学教授だという噂を聞いたことがあるけど、それが本当だとしたら、奈良の道路との関連もないことはないんじゃなかろうか。
いずれも寺社仏閣の盤踞する古都である。

ある意味、これもロマンだとは思う。



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# by fdvegi | 2018-01-04 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

鳥羽街道沿いの愛宕灯籠

市内南寄りで紹介した羅城門が平安京の南の玄関口というのは有名な話ですが、その羅城門から南へ向けて敷設された幹線道路が鳥羽街道です。

その頃はまだ別の名前の別の道のようですが、豊臣秀吉とか江戸時代とか、そういう固有名詞が登場する頃に、鴨川に次に桂川に沿って大阪方面へ向かう街道として整備されたようです。
古い道ですね。

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平安後期の羅城門付近は、南の正門とか玄関口とかいう威勢のいい体面とは裏腹に、結構荒れていたそうです。というか、南の方は基本的に荒れていたらしいです。

門前には浮浪者やら乱暴狼藉を働く者がたむろしていたほか、門の中にさえ鬼の類が神出鬼没に現れたという記録が残っているようです。そういう連中がどこから湧いて出たかは定かではないですが、せっかく道があるならその道を通って北上してきたとしても不思議ではなく、(旧)鳥羽街道は鬼の通り道だったのかもしれません。

時代が下ってなお鬼や悪党どもが闊歩していたかはわかりませんが、例えば月のない夜の桂川は広大な闇に閉ざされていたに違いなく、ともすれば大いに荒みかねない街道筋を、灯籠の明かりが静かに慰撫していたのでしょう。

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328_南区上鳥羽八王神町

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311_伏見区中島御所ノ内町

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312_伏見区中島樋ノ上町

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316_伏見区下鳥羽前田町

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317_伏見区下鳥羽前田町

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318_伏見区下鳥羽北三町

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319_伏見区下鳥羽南町前町

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313_伏見区横大路草津町


線ではなく面での愛宕灯籠マッピングを標榜しているこの愛宕灯籠企画ですが、ここはもう鳥羽街道とする以外に方法がありませんでした。ご容赦あれ。




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# by fdvegi | 2017-12-31 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

岩倉の愛宕灯籠、度重なる追加

すいません、まだありました。
岩倉

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369_左京区岩倉忠在地町

さすがにもうないんではないでしょうか。
どうだろう。。


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# by fdvegi | 2017-12-29 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

京都市内南寄りの愛宕灯籠

けっこう早い段階で見つけていたのに、長らく放置状態になっておりました。ようやく日の目を見ることに。
京都市内南寄りの愛宕灯籠。

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南区や伏見区のことを考えるとこの表現はかなり微妙なのですが、羅城門を南限とする平安京の街区を想定していただけると幸いです。

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307_下京区西七条北東野町

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134_下京区七条御所ノ内本町

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179_南区唐橋羅城門町



179_は、まさにその羅城門跡のすぐそば、矢取地蔵です。鳥羽街道の北端でもあります。

134_は若一神社。貴重な下京区です。といっても、吉祥院の果てという整理の方がふさわしいのかもしれません。

307_は正真正銘の下京区という感じがします。七条通りと八条通の間で、古めかしい一帯なのに見つからないな、と思っていたら、綱敷行衛天満宮という神社の中にありました。

この勢いで、やはり小さな寺社仏閣関係をつぶしていけば、あといくつかは見つかるのでしょうか。

とりあえず、市内北寄りで言及した「愛宕砂漠」の南限が、ここということになります。




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# by fdvegi | 2017-12-25 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

高槻市樫田地区の愛宕灯籠

基本的に高槻駅前くらいしか知らない高槻経験者にとっては原という地域ですらその存在が驚愕でしたが、さらにその奥地がありました。
田能(たのう)・中畑・二料(にりょう)・出灰(いずりは)・杉生(すぎお)の5つの集落で構成される樫田(かしだ)地区です。

昔は亀岡だったようです。さもありなんと思う一方で、亀岡と言われても亀岡でもないような、もうどこでもなく樫田でしかない、そういう場所なのでしょう。

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原(高槻)から行く場合、左右を採石場に囲まれて白んだ悲壮感の溢れるグネグネ道を蛇行に蛇行を重ねて行くことになるので、本当にもう、この世の果てに入っていくような不穏な胸騒ぎすら起こります(←初めてだったし)。

その割に、たどり着いた田能の集落は、高槻市のHPが言うような「今もなお清らかな水と空気の中で美味しい野菜や米、椎茸などが栽培され、四季の彩が美しいところ」を思わせる、穏やかな場所でした。
正直、不思議に魅力的です。住んでるわけじゃないし。

亀岡からのルートは過日の台風の影響で通行止めらしく、冬を越えて春になったら、いずれ一度挑戦してみたいです。

5つのうち、杉生を除く4集落を調べてきました。杉生は時間が足りなかった。無念。
で、2基発見。すごい発見、我ながら。田能と二料です。

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336_高槻市田能

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337_高槻市二料



中畑は妙音寺という寺の境内にそれっぽいのがあったのですが「愛宕」の文字はなく、話を聞こうにも人もいませんでした。
出灰にいたっては、これは一体全体集落と呼べるものなのかすら覚束ないまま、運転に気を取られている内に抜けてしまった感があります(驚いたことに、クロネコの普通のトラックが走ってました。プロです)。

あと、確証のないのが一つと、いかにも番犬らしい番犬に吠えたてられて近づけなかったのが一つ。
春になったらまた行きたい。晩秋の夢のようなひと時でした。

なお、中畑のさらに東側はいきなり京都市西京区で、その先は小塩山や金蔵寺を越えて向日市につながっているようです。
灯籠が中畑や出灰という比較的東側にはなく、西側の田能と二料にあることを考えると、樫田地区の愛宕灯籠たちは、この地点からさらに東方へ広がることはなかったのだと思われます。

さらに、昔は地区自体が亀岡領内だったことを踏まえると、亀岡発の大阪・高槻行きの途上でもないのかもしれず、というか、いったんそう考えるとむしろその方が自然に思えてきます(亀岡の南の果て)。

いやしかし、そうなると原に愛宕分社があるのが謎ですね。んー。どうなんでしょう。
昔は今の車道よりも合理的な山道(人道)があったのだろうか。ロマンです。

いずれにしても、杉生は調べないわけにいきません。うん。




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# by fdvegi | 2017-12-23 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

高槻の愛宕灯籠、追加

高槻のええとこを紹介するブログで紹介されていた愛宕神社の分社を見に行ってきました。

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原というところ。市街地から出発して延々北上します。
えらい山の上まで住宅街があるな、と思っていたら、いきなり田園風景が広がるという異次元感でした。
東西(左右)を山に挟まれ、中央に芥川という川が流れ、川を中心に結構広い平地が田畑になり、左右の山肌に沿うようにギュッと人家があるという、巨大なハーフパイプのような里です。
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335_高槻市原

東側の集落にありました。愛宕神社にある灯籠なので愛宕灯籠ということでギリギリセーフでしょう。
小さな集落全体といっていいのだろうか、その辺りが島本町の追加で言及した本山寺や神峰山寺(かぶさんじ)への西側の登山口になっていて、田舎らしいとろけるような眺めでありながら、内側に入ると何とも言えない妙な張り詰め感のようなものを感じます。

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370_高槻市原

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334_高槻市原


上述のええとこブログのコメントで言及されていた、もう一つの愛宕分社を求めて西側の集落にも行ってきました。370_です。
これだとは思いますが、いかんせん確証はありません。柵で囲われているのです。
柵の隙間から覗くことはできましたが、さすがに色々控えておきました。

片方があれだけオープンなのに対して、こちらはクローズド。東西の集落ごとの性格を反映しているのでしょうか。それとも他に理由があるのでしょうか。気になります。

そして、334_は疑いようもなく愛宕灯籠です。西側。
「愛宕山御寶前」という見たことのない銘が刻まれていました。
おそらく移設だとは思うのですが、風吹き抜ける田畑と緑雄々しい神峰山を見渡す眼前の眺めには、なるほど、これこそ宝、とうなるにふさわしい爽快感がありました。


さらに、当ブログで情報提供を受けた真上(まかみ)のもう一つ。
市街地にありました。ネットサーフィンをし倒していたら紹介しているブログもありました(名前がよくわからない)。皆さん色々よくご存知ですね。
市街地中心部のほんのごく周縁部分に、前近代です、みたいな風景がポツンと残っていること自体が驚愕でした。バリバリの住宅街に包囲されています。

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338_高槻市真上


ただし、「愛宕」の文字はありません。
情報提供と上述のブログにもある通り、過去にあった愛宕社の奉灯だったのかもしれませんが、わかりません。
いずれにしても、突然ポツンと石灯籠が残っている脈絡不明さが心地よく、引き続き末永く、その文脈不明感で静かな住宅街に謎めく深みを与えてもらいたいと思います。




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# by fdvegi | 2017-12-21 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

右京区京北地域の愛宕灯籠

これまで基本的に愛宕山の東側で捜索をしてきました。
西側は亀岡市で、そこはすでに「私たちの身近にある石造物を訪ねて」でカバーされています。203基。

ぼくが主に亀岡以東で見つけたのが約300基で、つまり、愛宕山から南に向かって扇状地状に愛宕灯籠が分布し、分布地域が上(北)にも拡大している様子(ただし時系列は不明)が確かにわかってきたわけですが、今回、愛宕山から真北の地点にも灯籠が見つかりました。
旧京北町です。現在は右京区の京北地域。

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旧京北町は2005年3月に京都市と合併しました。

その旧京北町も、もとは旧々北桑田郡内の5つの町村(旧々周山町←もともとは村、旧々細野村、旧々宇津村、旧々黒田村、旧々山国村、旧々弓削村)が合併してできた行政単位でした。

今回見つけた3基は、旧々北桑田郡の中の旧々周山町の2基と旧々弓削村の1基です。

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304_右京区京北周山町

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330_右京区京北周山町

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329_右京区京北伊崎町


何の気なしに旧京北町といいましたが、それが正しいのか、それとも旧々北桑田郡というべきなのか、とにかくこの地域は全域が基本的に山林です。それも広大な山林。

どう広大かというと、京北といえば、神護寺や高山寺で有名な高雄(すごい左上)のさらに奥なのですが、イメージ的に高雄の反対側にあるのが三千院で有名な大原(すごい右上)で、大原のさらに奥に行ったところに花脊というところがあります。
この京北(右京区)と花脊(左京区)が道でつながっているのです。つまり、山林で隣り合っているわけです。

わかるでしょうか。ミッキーマウスの、向かって左側の耳が【高雄・愛宕山】で、右側の耳が【大原・比叡山】です。

ミッキーマウスの両耳が隣り合うことはあり得ないし、片耳から片耳へ行くには、ミッキーの額や眉毛や、さらには目といった人物の主要部分を経なくてはいけないはずなのに、実は耳は外延部を取り込んで一体化し、ちゃっかりと耳と耳とで隣り合っていた、という話です。
何だかちょっと哲学的な響きになってきましたね。

とにかく、わずかに3基とはいえ、愛宕山の北側それも真北にも灯籠はありました。
右京と左京にまたがる広大な山林の中にはきっとまだまだあるのでしょう。うまく見つけられる気はしませんが。

これまで「扇状地的な広がりとその拡大」を想定してきましたが、視野を最初から「放射線状の広がり」に広げる必要があるようです。

ミッションは果て知らず。




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# by fdvegi | 2017-12-11 00:30 | 京都在住 | Comments(0)